■ 戦艦大和
1945年4月7日は「不沈戦艦大和」が最後を迎えた日であります。
極秘に建造され、戦艦大和にはいろいろな秘話が秘められているようだが、その辺りについては、到底考えが及ばないものとし、触れるのは避けることにします。
1232;敵機100機、雲の合間から急降下爆撃。
1245:雷撃機の魚雷1本、左舷に命中。
1334:雷撃機の魚雷3本,左舷に命中。
1344:雷撃機の魚雷2本,左舷に命中。大和は左に傾いたが、左舷を排水し,右舷に注水することで,傾斜を復旧。雷撃機の投下した魚雷3本,左舷に命中。再び傾く。
1417:雷撃機の魚雷1本,左舷に命中。
1420:伊藤長官は、総員最上甲板,退去,さらに特攻作戦中止を命令し(たとされ)、艦橋に残った。
1422:大和は横転、弾薬庫爆発。
⇒戦艦大和の最期(米側資料による)と「軍艦大和戦闘詳報」(日本側資料)を参照。
写真(下):戦艦「大和」の最期;1945年4月7日,戦艦「大和」は14時22分沈没。
今日私たちの脳裏に映る「戦艦大和」は本や映画で知る限りだが、中でも赤坂プリンスホテルにて映画 『男たちの大和』 企画発表は記憶に新しい。
「40年後、辺見じゅん氏が6年の歳月と熱い取材行脚を重ね、生存者と遺族の重い口から語られた言葉をもとに、『大和』の3年半の戦いと乗組員たちの人間ドラマを、あくまで兵士たちの目線で、壮絶な記録文学として著された。第3回新田次郎賞を受賞した『男たちの大和』である。歳月を経て語られた真実の重みと、戦争犠牲者への鎮魂でありたいと願う原作者の想いは大きな力となり、同年の『大和』発見へと導いて行った。
そして今、防人たちの墓標として海底に瞑る「大和」と兵士たちの魂を映像でスクリーンに浮上させ、短い人生を生き切った若者たちの、断ち切られた"想い"と命懸けの"愛"を甦らせ語り継ぎたい。日本人としての決断を迫られている今だからこそ、彼等の魂の声を各々の心で聞くことは必要ではないだろうか。
<死ニ方用意>と戦艦大和に書かれゐき島山とほく櫻けぶりて」(→2005年『男たちの大和 / YAMATO』遂に発進引用終わり)
海上特攻の損害
戦艦「大和」 2740名 沈没、生存者276名、うち負傷者117名
軽巡洋艦「矢矧」 446名 沈没、生存者503名(第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少 将、艦長原為一大佐を含む)、うち負傷者133名
駆逐艦「磯風」 20名 大破・自沈、負傷者54名
駆逐艦「浜風」100名 沈没、負傷者45名
駆逐艦「雪風」 3名 被害なし、負傷者15名
駆逐艦「朝霜 」326名 沈没、全員戦死
駆逐艦「初霜」 0名 負傷者2名のほかは被害なし
駆逐艦「霞」 17名 大破・自沈、生存者285名、うち負傷者47名
駆逐艦「冬月」12名 小破、負傷者12名
駆逐艦「涼月」 57名 大破、負傷者34名
64年前の壮絶な戦いで亡くなった人々のご冥福を祈ると共に、今日こうして日本人として生きていられることに感謝と誇りを持ちたいと思います。