2009年3月10日(火)
 偶然

 
 ■ 偶然
  
 昨日「偶然と必然」について記載しましたが、昨夜私に「偶然」が訪れました。「硬派銀次郎」「山崎銀次郎」「俺の空」といえば漫画家の”本宮ひろ志”氏であることは誰もがご存知のことでしょう。
 昨夜は彼の同級生(ナイスミディな女性)と偶然の出会いがありました。本宮氏は葛飾区の生まれで、すぐ近所に生家があり、すぐ近くに通っていた学校があり、現在の住まいもすぐ近くの市川(千葉県)であるとナイスミディな同級生に伺った。
 私が若かりし頃に読んだ漫画としては、強烈な硬派に憧れたことを思い出す。あそこまで格好の良い硬派にはなかなかなれないと、ある部分では漫画の世界の様に思ってきたが、先日NHK放送の「白洲次郎」を観たとき、本宮氏の描く漫画
主人公「銀次郎」と同じような感覚に囚われて、まだ余韻も覚めやらぬときの「偶然」の出会いでした。世の人は「偶然」ではないすべてが「必然」であると言う人もいますが、正にこの身をもって体感しました。

「白洲次郎プロフィール(yhooより抜粋)」

 明治35年(1902年)2月17日、兵庫県武庫郡精道村(現・芦屋市)に白洲文平・芳子夫妻の次男として生まれる。後に兵庫県川邉郡伊丹町[1](現・伊丹市)に建築道楽の父が建てた邸へ転居。

大正8年(1919年)、旧制第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)を卒業。神戸一中時代はサッカー部・野球部に所属し手のつけられない乱暴者として知られ、当時すでにペイジ・グレンブルックなどの高級外国車を乗り回し後のカーマニア・「オイリー・ボーイ」の片鱗を見せていた。同級生には後に作家で文化庁長官となった今日出海、中国文学者で文化功労者となった吉川幸次郎がいる。


 終戦直後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁通商産業省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。しばしば「白州」と誤記されるが「州」ではなく「洲」が正しい。





 

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